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高倉寺について

縁起

高倉寺は、天正年(1590年)に高麗郡中山村(飯能市)にある能仁寺の末寺として第三世 材室天良禅師が開山したといいます。
第二世 泰州禅師は高徳博識で知られた人で、東京の芝増上寺から震丹伝来の十一面観音菩薩の尊像を貰い受けました。その後、延享元年(1744年)に第五世 白翁亮清が、この観音像を安置するため、もと飯能市白子の長念寺に建てられてあった観音堂を譲り受け移築しました。この観音堂は室町時代初期建造物とされ、現在国重要文化財に指定されています。

観音堂 国指定重要文化財(昭和24年指定)

観音堂の平面形態は方三間で周囲に縁を持ちます。正面の産間と側面の手前市間を桟唐戸として、内法貫上には弓形の欄間を設け、側面の中央一間に花頭窓を配しています。柱は粽柱で軒は一軒扇垂木となっており、屋根は長刀反をもつ入母屋造で、建立当時は茅葺でしたが、現在は茅葺様銅板葺に改められています。関東地方における禅宗様式の代表的な建造物の一つです。堂内の本尊背後におかれている鉄製灯篭は室町期に流行した形式を伝えています。

また、観音堂内には、中村芝翫(のちの四代目中村歌右衛門)の「九変化」の扁額が保存されている。これは、鳥居派五代目清満の作と伝えられており、江戸の小高亀吉が江戸時代に奉納したもので演劇史上、貴重な資料となっています。

本尊

釈迦三尊像

普賢菩薩  釈迦如来  文殊菩薩

尊像

達磨大師

大元大師

十一面観世音菩薩

十六羅漢

観音堂内の尊像

水子地蔵尊

金剛力士(仁王)吽形像

金剛力士(仁王)阿形像